こんにちは。ぴよちゃんです。
四月に入り、明日が入学式、という学校も多いのではないでしょうか。
うちの小学校は校長先生が変わるので、どんな校風の学校になるのか、ドキドキします。
さて。
入学式と言えば、出てくるのが「国旗、国歌問題」です。
昔ほどではないにしろ、いまだに国旗掲揚するか、国家を歌うかで教育現場がもめています。
私が在籍していた学校では、幸い「教師が日の丸を引き下ろす」などの騒ぎはありませんでした。
国旗は掲げていたし、国歌も歌っていたけれど、でも国旗や国歌に対する拒否感があった世代でした。
私自身も深く考えることはなく、
「今の国旗、国歌って、戦争に関わるいけないものなんだ」
という認識を、なんとなく持っていましたね。
大学に入学してから、「クラスで立て看板を作る」という謎の伝統行事がありました。
その時も、深く考えず
「さざれ石が巌となって、苔がむすまで待ってられるか」
という看板を作りました。
当時、うちのクラスは何が言いたかったのだろう……。
何も考えず、時流に乗って「政府に反抗するカッコいい俺たち」を演じていたのでしょうね。
若気の至りというかなんというか。
「日の丸」は天皇制の象徴か??

そんな私が「なんかおかしくない?」と思い始めたのが、幕末にはまって歴史の勉強をし出した 二十代中盤。
高校では日本史をとらなかったので、独学で当時の資料をあさりました。
一番驚いたのが、「日の丸は幕府軍の旗印だった」ってことです。
だって、ずーっと「日の丸は天皇制の象徴で、だから戦争の象徴でもある」的なことを聞かされてきましたからね。
ワタクシは佐幕派なので、以下いわゆる「官軍」を「西軍」といいます。
当時、帝をかついだ西軍の旗印は「錦の御旗」で、赤地に金の日像、銀の月像が描かれています。
対して「賊軍」と言われた幕府軍の旗は「日章旗」、つまり日の丸です。
「天皇制の象徴」なんて言われた日の丸は、幕末当時「天皇にはむかった賊軍の旗」だったわけ。
ぜんぜん「天皇制の象徴」じゃないじゃないか。
国旗は自国と他国を見分けるもの

そもそも、日の丸は江戸時代、「幕府の公用船の旗印」として使われていました。
開港して外国との交易がはじまり、日本の船の印として「日の丸」が採用された、という経緯があります。
そう。国旗というのは、「外国と自国を区別する」ためにあるものなのです。
だから、主に外交の場で使われる。
そして、「外交」というのは、プラスのものとマイナスのものがあります。
プラスの外交には、オリンピックなどのスポーツの試合、万博などの文化交流、貿易などがあり、
マイナスの外交の最たるものは戦争、というわけです。
だから当然、オリンピックでは、日本の選手は日の丸をつけて試合に臨むし、
戦争に行くときは、敵との識別のために、日の丸をつけて戦争をするのです。
だからね。
「マイナスの外交」である戦争のことだけを取り上げて、「日の丸は戦争の象徴」っていうのは一方的過ぎると思うのね。
プラスの外交の場でも、日の丸は掲げられてきたんだから。
先日読んだ宇江佐真理さんのエッセイにも
「嫌だという人がたくさんいるんだから、 国旗も国歌も変えればいいじゃない」と書かれていましたが、私は反対ですね。
それって、自分の国の歴史を切り捨てることになりませんか?
国旗は清濁両方の歴史を抱えるべきもの

国旗は、プラスの外交とマイナス外交の両方で使われてきたもの。
「国旗は清濁両方を抱えるもの」というのが私の考えです。
「戦争の歴史を反省しよう」という人こそ、しっかり日の丸を背負って反省するべきではありませんか?
日の丸を拒否するってことは、「過去の戦争は自分たちとは関係ない」と逃げることだと思うんですね。
臭い物にふたをするのと同じことだと思います。
だからね。
私立はともかく、公立の学校の入学式はちゃんと国旗を掲げましょうよ。
外国籍の方もいらっしゃるでしょうが、「日本の公教育」を受けるための学校の式典なんだからね。
で、ちゃんと清濁両方の歴史を公正に勉強しましょうよ。
自分でちゃんと考えて、自信を持つところは自信を持ち、反省するところは反省して。
世界の未来のために、日本国民としてやれることを考えていきましょうね。
コメントを残す